Cafe - good bye! Milk Hall NO.2

ミルクホールの始まり

現在のミルクホールのこの場所で、1972年6月彫金のアトリエを仲間と開く。ここは自宅であり、1階 はマスターの父が経営する学習塾でした。12月、自宅前のガレージだった場所に、マスターと父の 二人で土台からなにもかも手作りで、彫金アクセサリーの店を完成させる。これがミルクホールの出発 点でした。その後父が体調を崩した為、塾を閉める事になり、空いた1階の広いスペースで、大正・昭 和初期の造りを再現した喫茶店ミルクホールを開店させる決意を固めたのでした。1972年は、年明 け1月、佐藤・ニクソン会談による共同声明で沖縄返還決定、同月、グアム島密林内で元日本兵横 井正一さん発見、救出される。2月には、札幌で冬季オリンピック開幕、同月連合赤軍による浅間山 荘事件、佐藤内閣退陣、7月第一次田中角栄内閣成立と、歴史が激しく揺れ動いた年でした。と、 上野に初のパンダ2頭が来たのもこの年でした。70年安保闘争・ベトナム戦争反対といった激しい政 治運動は浅間山荘事件以来急激に冷めて行き、参加していた学生達は散り散りとなり、再び地方へ 目を向けて行く者、マグロ船に乗って自らを試そうというブームも起こり、若者は何とか規制の社会か らドロップ・アウトしようと、誰も彼もが冷め行く情熱の中でもがいていたような気がします。髪を伸ばし バックパッキングで世界中を歩き回る、ロックとヒッピーに象徴される時代でした。一方で自らの手で 何かを造り出そうと、手作りの店が全国のあちこちに現れました。そのブームの中で出来たのが、ミル クホールの前身である彫金アクセサリーの店「フルハウス」でした。今でもミルクホールの壁の飾られ ている薔薇と葡萄をテーマにした真鍮や銀のアクセサリーを5~6人のスタッフで造り、デザインと造り の完成度を上げていった為評判は上々で注文を受けて小売店へ卸すなど、順調に商売は伸びて 行きました。ディスカバー・ジャパンを合言葉に、地方への人気が高まっていました。 そのような背景の中、ミルクホールの建築計画が始まったのです。

to be continued

2009 Milk Hall Times 159th