Cafe - good bye! Milk Hall №5 ミルクホールの伝説


ミルクホールで働く人達は、全員皆アルバイトで入ってきます。その中でたまたま長く働いた人がレギュラースタッフになっていきます。 アルバイトに始めて入って先輩格アルバイトの人に色々なことを教わる時、皆が戸惑うのが、ミルクホールの小部屋の呼び名です。ホールとかバールームなどの他に狸とか、メキシコなんてのもある。入り口近くの小部屋は「狸」と呼んでいるので、「狸から○○取って来てね」なんて・・・ 日常不可欠な会話に出てきますから、本当に戸惑うようです。それが不思議と感じなくなる頃又、後輩が入ってきてそれを教えている、という具合です。始めは店が古くて何でもミステリアスに感じるのですが、しばらくすると何てこと無いことに気づくようです。ミステリアスというなら、新人アルバイトはいつでも先輩達にとってミステリアスな存在です。あっという間に辞めてしまう人は永遠にミステリアスな存在になりますが、長い間働いてなお且つ不可思議な存在感を放つ人物も時にはいます。それが、伝説にまでなった・・・ といえばやはり筆頭にあがるのは、日本のダーツプレイヤーの草分けでもある、渡部弘さんでしょうか。ミルクホールで働きながらプロのダーツプレイヤーとなり、長年日本チャンピオンの座にあり、海外でも活躍した人です。彼は、ミルクホールだけでなく、日本のダーツ会の伝説の人でもあります。今でも彼が夜中までお店でダーツの練習をしていた音が聞こえるようです。トップに立つものの哀愁と厳しさと、そしてどこか悲しい目をしている人でした。 今も、時々訪ねてきてくれますが、やはりミステリアスで、伝説にふさわしい先輩です。
2009 Milk Hall Times 163th

2010年 7月 ミルクホール 再生へ


ミルクホール37年間との別れ、そして、次世代への伝言

1972年、ミルクホールはその頃まだ静かな町だった鎌倉の裏通りに小さな彫金アクセサリーの店として オープンしました。そしてその約4年後の1976年に、喫茶室と夜お酒が飲めるBAR ROOMまでを完成 させ、今のミルクホールの形になりました。37年間、危い事も経験しながらどうにか営業続けて参りました。 3 7年間を振り返ると、人が生まれ、育ち、そして老いて行くさまのようだったと感じます。 まるで人生のように悲喜こもごもがありました。文字通りマスターの手の中から生まれたミルクホールです。 柱も壁も窓もカウンターも一つ一つその手で作った店でした。その後も改修の度にこつこつと皆で直し、労 ってきましたが、ミルクホールの老獪ぶりは限界に来ています。私達は今ミルクホールと一度決別し、今年 の夏7月より、改築することを決めました。マスターは、今年60歳、還暦です。もう一度1972年に還って、37 年前にそうしたように、壁を塗り、柱を建て、一度外した窓やドア、カウンターを組み上げて、ミルクホールを 今のこの形に再現し、11月、再びミルクホールを皆様のもとへお返ししたいと思っています。 ミルクホールをもう一度再生して、この先も、子や孫の代まで、50年、100年と繋いで行きたいという事が 私達の夢です。いつまでもここに残っている事。それが、ミルクホールより、次世代への伝言なのです。