Cafe - good bye! Milk Hall NO.1

私が自分達への戒めとして、アルバイトの人達に言う言葉があります。「ミルクホールにはね、魔法がかかっているのよ。だからもし今、魔法がとけたら、あんな風に楽しくしているお客さまたちが部屋の中を見渡して、どうして私達はこんなあばら家に座っているんだろう?って、不思議に思 って皆出て行ってしまうでしょう。だから皆で、魔法がとけないように努力 しなくてはいけません」本当にそう思うのです。この店には魔法がかかっている。この魔法に魅 せられた沢山の人達がミルクホールを思い出し、立ち寄り、お茶をしたり、 食事をしたり、買い物を楽しんだりして支えてくれています。いつ、誰が、 かけた魔法なのか、それは分かりません。でももし魔法がとけたら、ミルク ホールは今にも朽ち落ちていく古ぼけたあばら家なのです。この刹那な 現実が一層魔法を強くしているのかもしれません。でも刹那は刹那で、誰 も時間を止めることはできません。朽ちていく柱、欠け落ちていく壁、何よ り長年の湿気と重みで揺らいでいく家、魔法では解決しない問題です。ミルクホールは、魔法と年月との狭間で細く長く生き伸びてきたのです。この問題とミルクホールの現実を、何十年も考え、目を瞑り、妥協しつつ 向き合ってきました。そして今、私達は一つの結論に到っています。一度ミルクホールにかけられた魔法をといて、現実の時間としっかり向 き合う時が来たと。それには、ミルクホールが魔法にかかったはじまりを、私達自身がミルク ホール出発点にタイムスリップして、もう一度見つめなおす必要があると、考えます。始まりは終わりの始まりで、終わりは始まりでもあるのですから。ミルクホールが、生まれた時代。1972年、今から37年前に遡ります。今のミルクホールスタッフの大半が生まれる前のことです。1970年代、 ノスタルジーと言われるでしょうが、なんだか今振り返ると甘く切ない時代 でした。70年安保に吹き荒れた時代の荒波は遠くなり、エネルギーと、退 廃が混沌として混じりあい、不思議な詩情に満ちた時代だったのです。沢山の音楽、歌、詩、演劇が生まれました。寺山修二が、「書を捨てよ、街へ出よう」と 呼びかけ、街での演劇実験を試みました。 街には何かが起きる・・・ という興奮にも似た期待がある一方で、ディスカバー・ジャパンという流行語と共に、若者達は田舎へと、足を向けたのです。豊かな敗北を味わった時代だったのではないかと思うのです。

to be continued

2009 Milk Hall Times 158th