HISTORY-KAMAKURA 場所の記憶 No.5

七里ガ浜の磯伝い、稲村ケ崎古戦場・・・と歌われているように、鎌倉時代の最後にこの磯では激しい戦闘が繰り広げられました。鎌倉は海と山とに囲まれた自然の要塞です。軍勢を引き連れた新田義貞は当時まだ切通しのなかった稲村ケ崎で、足止めされました。前は海の荒波、稲村の岬は軍勢を引き連れて越えることはできません。その時新田義貞は海に向かって、自らの剣を投げ入れ、祈りました。その祈りが届いて波は引いて行き、軍勢は引いた磯を歩いて渡り、鎌倉に入ることができたと言われています。今でも、これからの梅雨の時期などは大抵海が静かで、大潮の時には、海がすーっと沖の方まで引いて、波打ち際を歩いて岬の周りを歩いて渡れるような日があります。そういう日には、稲村ヶ崎の人達は「その日はこんな風だったのだろうね」と話し合っています。新田義貞が海を渡った日は6月だったのかもしれません。そして、地元の人達がその日を待っているのには別の理由があります。普段隠れている波打ち際が現れると、そこには逃げ遅れたタコ残っていることがよくあるのです。バケツを逆さにして底にガラスをはめ込んだような形のタコ眼鏡と呼ばれるもので、海の底を覗きながら浅瀬を歩き回ると、時々立派なタコが拾えるのです。それは本当にのどかな光景です。稲村ヶ崎の海岸は、他にも他の鎌倉の海岸には見られない特徴があります。その砂浜は、よく見ると他の砂浜より少し黒い砂で出来ているのがわかります。稲村ケ崎の砂には砂鉄が混じって砂が黒く見えているのです。真っ白い砂浜というわけにではありませんが、秋から冬にかけての夕焼けの眺めは鎌倉で一番美しい場所です。海の乱暴者たちもサーフボードの上で見とれる海に浮かぶ富士山と伊豆半島、大島までがパノラマに美しく赤く染まる風景は、神様からの稲村ケ崎への贈り物です。
2006 Milk Hall Times 120th