HISTORY-KAMAKURA 場所の記憶 No.2

から長い間人が暮らし、生活を営んだ場所には、『場所の記憶』が残るのだ そうです。ここ鎌倉では毎日どこかしらで、遠い昔に埋もれてしまった場所の記憶 を掘り起こそうと、発掘調査がなされています。 発掘調査ではさまざまなものが掘り出されています。茶碗や櫛、鏡、壷など、 そういったものでその土地にあった家や屋敷がどういう身分のものだったかなど 推測されるのでしょう。一昨年ほど前、浄明寺町あたりに住むミルクホールでアル バイトする大学生の家が新築のため取り壊された時の事、彼女の話によると 取り壊したあとの敷地から『報国寺の本堂』が出てきたそうで、家族もびっくりして いたそうです。そのほかには、鳥居跡や、道の跡などが見つけられ、その都度 鎌倉中世の地図が書き換えられたり、書き加えたりされるのです。鎌倉に住む人 にはよく知られていることですが、鎌倉には小町通りが2本あります。1本は、駅か ら赤い鳥居をくぐって入る鎌倉一賑やかな商店街である小町通りです。ところが この小町通りの歴史は意外に新しく、そもそもあのシンボルマークの赤い鳥居は 参拝のためのものではなく、戦後、ミルクホールの先代である磯見満氏が商店街 の発展を願って提案し、建造したものなのです。今では毎日何百何千という人が 鳥居の下をくぐります。お正月には何万人という人が通る道になりました。 あの鳥居には先代の思いが場所の記憶として刻まれた事でしょう。そして もう一方の小町通りこそ、鎌倉時代に繁栄を誇った道なのです。 若宮大路を挟んで丁度東側にあるのが昔からの小町通りです。 八幡宮の東にあったとされる将軍家の住居、大倉御所から 鎌倉時代貿易で栄えた材木座海岸まで通っています。 この道では当時沢山の人が往来し、生活をし、商売もしま した。通りの北側にある、現在『辻説法』という地名で親し まれている所は、日蓮上人が毎日のようにそこに立ち、 道行く人々に説法を説いていたということです。今も そこに立ってみると、当時の光景が目に浮かぶようです。 道の記憶・・・道にも多くの記憶が刻まれています。

2006 Milk Hall Times 117th