HISTORY-KAMAKURA 場所の記憶 No.1

KAMAKURA・・・場所の記憶 No1

多くの人々が長い間そこに暮らし、生活を営んだ場所には、たとえその場所が、すたれ、さびれていったとしても、そこには『場所の記憶』というものが残るのだそうです。

今、私たちが暮らし、親しむこの鎌倉の地の下には、いったいどれほど多くの、場所の記憶が埋もれていることでしょう。 新年の参拝客でにぎわう鶴岡八幡宮。参道の段葛の並木道は今も昔の形を残しています。段葛を中央に通す若宮大路は、もともと由比ガ浜の海岸からまっすぐ八幡宮 に続く参道でした。この一本の道にも多くの場所の記憶が残されています。鶴岡八幡宮は康平6(1063)源頼義公が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として由比ケ浜辺にお祀りしたのが始めです。その後、源頼朝公は鎌倉に入るや直ちに 神意を伺って現在の地に八幡宮を移し祀り、建久2(1191)には鎌倉幕府の宗社に ふさわしく上下両宮の現在の姿に整えました。今現在、鶴岡八幡宮へ向かう参道は、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と、三つの鳥居で構成されていますが、もともとは由比 ガ浜の海の中にも鳥居があったということが言われています。と、言うのは、今現在も 鎌倉に住んでいる人の中に、昔、海の中に立っていたその鳥居を見たという人が何人もいて、そのあるべき場所にもう一度鳥居を建設しようと、働きかけているのです。海の中の鳥居を再現するという話 。鎌 の海に鳥居が浮かぶ姿を想像しただけで 、美 しく夢 のある光景です。多くの方が海の中の鳥居建設を実現したいと 、いったい、その鳥居はどこに 、どのように建っていたのかと、調べているのです。なにか、一度鳥居の土台らしきものを見たというダイバーの話もあるのですが、その後何度潜ってもわからないということです。鎌倉の場所の記憶は、海の中にもあるようです。

2006 Milk Hall Times 116th