COLUMN - 鎌倉の猫事情 その六


一時、界隈をうろうろする猫たちもめっきり減ったと思われましたが、 どうやら代替わりしたようで、あちこちの家からに新顔の猫が顔をの ぞかせるようになりました。古い代の猫はもう一匹も見かけません から、ボスの座はまだ空いていることでしょう。 吾がミルクホールも長年の付き合いだったシュガーちゃんを亡くし たばかり、敬意を表して一周忌過ぎた頃、めぼしい捨て猫を探して おりました。敬意を表してとは言っても、あまりに長生きしすぎて、晩 年は足腰も弱り歯槽膿漏やら皮膚病やら、果てはお尻の方もゆるく なり始め、寝たきり猫にならなかったのは幸いでしたが、面と向って 「もっと小さくて可愛くて柔らかい猫がいいなあ」などと悪態をつかれ ることもたびたびでした。鎌倉市では、15歳を越えた長寿の猫は表 彰されることになっているそうですが、シュガーちゃんの場合は結 構大きくなってから来ましたし、家出も繰り返し、家人も推定15歳と しか知らないのですからあきらめて申告もしなかったのですが、 申告したら、いったい何が頂けたのでしょうか? シュガーちゃんがいよいよ最後と言う時は、ずいぶん悲しい思いを しました。亡くなる3ヶ月前頃から急に毛並みが良くなり元気になり まして、この分だとまだまだ長生きするなあなんて思っていたので すが、私が2~3日家を留守にして帰ってみると、変わり果てた姿で 物干し台にうずくまっていました。驚いていつも寝ていた部屋へ入 れてやると、部屋の中を這いずりながらうろうろしていました。ああ、 死に場所を探し始めたのかなと思いました。数時間すると、どうや ら死に場所をここに決めたというように、落ち着きました。こんどは 寝場所を探してベッドに上がろうとするのですが、その力がありま せん。あまりの姿に涙が出ました。そしていつものようにベッドに乗 せてやりました。それから2日間シュガーちゃんは静かに苦しみました。食事はおろか、もう水も呑めなくなっていました。3日目の午後、自力でベッドから降り て横たわりました。いよいよその時が来たのだと思い、今度は床に座布団を敷いて寝かせま した。そしてとうとう動かなくなりました。それでもまだその日の夜半、午前3時頃までは息が あったと思われます。だんだんと身体が冷たくなりついに、眠るように息をひきとったのです。 横で見ていた私にも気づかないくらい静かで、おごそかな感じさえする最後でした。 さて、一年が過ぎ悲しみもすっかり癒えて、捨て猫探しを始めたものの、今時捨て猫は見か けません。そこで心当たりを考えてみると、ふだん仲良くしている三重県の骨董業者さんで 古川さんという家族を思い出しました。その一家は『捨て猫・捨て犬一時預かりボランティア』 という長い名前のボランティアをやっているのです。一家はよくまだ乳飲み子の子猫や子犬を 車に乗せて骨董市にあらわれ、哺乳瓶でミルクを飲ませたり、おしっこをさせてやったりして 面倒を見ています。三重県というのは少し遠い気もするけれど、あの一家ならということで ともかく電話してお願いすると、喜んで快く引きうけてくれました。 それからまた3ヶ月、古川さんは吟味に吟味を重ねてくれたようです。何より小さい内に飼っ たほうがいいという事を考えてくれました。その上、元気がよくて毛並みや器量もまあまあとい うと、そうそうはいないものです。途中候補の猫もいたのですが、 ちょっと育ち過ぎだったそうです。縁のものだから、そんなに気を つかってくれなくても・・・と言いましたが、まあちょっと待って下さい と探してくれたのです。きっとだれからも候補にあがらなかったよう な、不器量だったり身体が弱い犬猫は、ああいう方達が面倒見て いるのでしょう。結構大変なんだってこともよくわかりました。しかし、ついにその候補の猫があらわれました。 古川さんから電話の 「いましたよ!」 という声は、明るく自信に 満ちていました。

次号、私達は、期待に胸脹らまし、その子猫を迎えるべく 名古屋へと車を走らせます。

to be continued

1999 Milk Hall Times 65th