HISTORY-KAMAKURA 場所の記憶 No.3

春の嵐の夜は、なにか悲しげに泣いているような風の音に、寝床に入っても なかなか寝つかれないものです。 かつて町中が古戦場だった鎌倉には、色々な悲しい話が残されています。 岐れ道から鎌倉宮に向かって40メートルくらい行った右側に小さなお地蔵さま があります。お地蔵さまの左手、道路から2メートルばかり下った所に小さな川 が流れています。昔、ここは魔の淵と呼ばれ、狭いながらも青黒い水がとうとう と流れていて、たくさんの尊い人命がここに住む魔物の餌食になったそうです。 その後大正年間に杉本寺の住職の発願でお地蔵さまが安置され、それから 不気味な話は聞かなくなったそうです。土地の言い伝えでは、「この辺一帯は 昔からたたりがあって畑にしてもここを耕作すると必ずけがをしたり病気になっ たり、ときには死ぬようなことがあって、この土地は買う人さえいなかった」という ことです。ここは、昔鎌倉の染谷太郎太夫時忠の娘が鷲にさらわれた時、その 血がしたたり落ちた所だともいいます。なんとなく作り話みたいな話ですが、 さまざまな経緯があって言い伝えられたのでしょう。ここに限らず少し前の鎌倉 の町には「人が住むところではない」と言われた場所が 方々にあり、そういった場所に工事の人が入ると必ず 何か悪い事が起こると聞きました。現に馬や人の骨が ぎっしりと埋まっていたようです。そしてそれからまた何 年かの時が流れ、いつの間にか禁断と呼ばれていた 土地に、明るく開放的な造りの高級マンションや、レス トランが建てられていて、楽しげな人や、立派な首輪を つけた犬などが出入りしているのを見かけます。 いつだったか、稲村ガ崎に下宿してミルクホールでアル バイトしていた学生が、「部屋に頭部のない馬に跨った 武士が、現れるんです・・・」と、言って不眠症に悩まさ れていたこともありましたっけ。 きっときっと先人達が色々な教訓を私たちに言い残 したかったのだろうと解釈してはいますが、こんな風の 強い晩には不安な気持ちになります。それに、冬の冷 たい季節より花の咲き乱れる春の方が、なんとなく山も 谷も妖しい気配が漂っているのですよ・・・・

一部「かまくら子ども風土記」より抜粋

2006 Milk Hall Times 118th