Cafe - good bye! Milk Hall No.4 ミルクホールの経営難


ミルクホールの37年間の歩みって何だっただろうと考えると、いつもいつも経営難に悩まされ続けてきたと言 っても過言ではないです。殆どの商店主や小さな企業のオヤジさん達も同じなんだろうなと、思いますが。 個人商店は、失業保険や、退職金なんかとは無縁です。一期一会の商売です。気楽で脳天気な方でも悩みは つきません。色んな事件があった中でももっとも印象深いのが、1995年1月17日の阪神大震災でした。その頃 私達は、アンティーク家具を関西や中部地方から仕入れしており、その日の早朝も仕入れの為に関西へ向かっ ていました。その道すがら続々と入るニュースで大変なことが起きていることを知りました。私達の協力業者の方 たちも随分被害を受けたり怪我をしたりしたのです。影響はその後日本各地に出て、日本中の観光地に人が行 かなくなったのです。6000人以上の人が亡くなったのですから、誰もがとても行楽する気持ちにならなかったの です。そして、3月、東京の地下鉄でオウムのサリン事件が起きました。怪しい風聞も流れ、日本全体が暗く沈み ました。この2つの事件で観光地は大変打撃を受けました。この頃がミルクホールの転換点だったと思います。 鎌倉という恵まれた観光地で喫茶店をやってるというだけでは、生きていけないという事を自覚しました。アンテ ィーク家具の修理や製作にも力を入れ、ミルクホール主催の骨董・ガラクタ市を伸ばして行って、観光以外でも お客さんが来てくれる店を作って行くようにスタッフ全員が努力しました。その努力は次第に報われるようになり、 ミルクホールの蚤の市には、沢山のお客さんが集まるようになり、その後数年間の間はミルクホールの歴史の中 でも、経営的に大変うまくいっていた時代だったのです。ただ、静かに珈琲を味わう店であるはずのミルクホール が、時に沢山の骨董品や人でごった返すことも度々で、昔からのお客さまにはがっかりされることもあったのです。 そしてまた数年を経ると、ミルクホールの景気の良い時も終わっていったのです。振り返ると1995年のあの2つの 事件は、日本の社会にとっても転換点だったという気がします。それまでには無かったような不可思議な事件が 起きるようになり、安心して暮らしていけないような空気が出来てしまったのかしらと、感じます。小さなお店の経営難に悩み、大きな社会の変化に怯えながらも、ミルクホールに沢山の人が集まって下さるのを見ると、ここに来てくれる人達がいつまでも安心して何十年も前と変らずに珈琲が飲めるように頑張ろうと思えるのです。

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2009 Milk Hall Times 162th